ニ、東方と西方



日本に影響を与えた珈琲取扱上の種々な考え方は、専らアメリカにおいて発達した珈琲一般化の近代的思想に基づいたもので、珈琲発達の途上における大きな転期のきっかけとなるものでありました。しかし珈琲にはまだ昔の名残りが残っていて、珈琲が飲み物として登場した初期の形式は、トルコを中心とした東方諸国では今も踏襲されていおます。また、西欧へ渡来して初めて近代人の嗜好に投じた舞台として、パリで確立された趣向は、これまた現在でも重んじられる形式となっています。
 ラルフ・ホルト・チェニー(Raph Holt Cheney)も、その著「コーヒー」でさすがにこうした在来の手法を閑却しないで、その片鱗を伝えていますが、それによれば、単にトルコとフランスのみならず、珈琲が経過して来たヨーロッパ各地の風習をも、同時にうかがい知ることが出来るのです。

 代表的な珈琲名称の説明

1、カフェ・ア・ラ・クレーム(Cafe a la Creme)
 プレーンクリームまたはホイップ(泡立ち)されたクリームの混ぜられた、カフェノア(ブラックコーヒー)のことである。
2、カフェ・オ・レー(Cafe au lait)
 ミルクコーヒーまたはフランス風の朝のコーヒー(Morning Coffee)のことで、温いミルクとともに供される。混入の割合は大体両者半々である。

3、カフェ・ノア(Cafe Noir)、ブラック(Black)または、アフターデイナーコーヒー(After Cinner Coffee)
 このようないい方をされる珈琲は、念入りに濃く立てられた珈琲のことである。

4、かふぇ・エキストラクト(Cafe Extract)または、エッセンス(Essence)
 普通にコーヒーエッセンスとはいっても、カフェイン含有量の多いものではなく、保存のためには強いアルコールや、色付けのキャラメラが添加されている。商品としては蒸留して造られるが、要するに液体は好みの濃度にまで濃縮されたものである。

5、クレオール・コーヒー(Creole Coffee)

 ゆっくりと立てられたコーヒーのことで、新しく焙られ、磨砕された珈琲を、ポットの濾過器に押さえるように入れ、5分間かかって熱湯を注ぐものである。
 この方法によれば、強く、また芳醇な濃液が出来る。珈琲使用量は一杯分に対し、テーブルスプーンに山盛り一杯が用いられればよい。
 このコーヒー濃液は、真空瓶によって、保存用として蓄えることも出来る。

 注 クレオール・・・スペイン領アメリカまたは西印度生まれの白人。

6、デミタッセ・ドウ・カフェ(Demi-tasse de Cafe)またはカフェ・デミタッセ(Cafe Demitasse)
 本来は半カップのコーヒーのことをいうのであるが、現在は小コップで出されるカフェ・ノアのことである。

7、ダッチコーヒー(Duch Coffee)
 上部に特殊のコーヒー濾過器を持ち、下部に貯蔵タンクを持ったコーヒーポットを用い、冷水によって浸出された良質の磨砕珈琲の浸出液のことである。冷水は磨砕珈琲を通過するのに4時間かかる。
 この装置によって立てられた珈琲浸出液は、高率の濃度と香気を保有している。

 8、フレンチコーヒー(French Coffee)
 良質の珈琲の深焙り----時には少量のバタや砂糖を加えて焙煎される---に10パーセントから30パーセントのチコリーを加え、濃度をつけるために、幾らか時間をかけて、パーコレーターによって調製される。
 材料に種々な添加物が用いられるのは、特殊な風味を持たせるためである。

  *註 チコリー(和名 キクニガナ)欧州原産の菊科植物で、根、花、実共に薬用に供されるが、
     根は特に珈琲添加物として重んじられ、珈琲には必ずチコリーを入れて用いる風習すらある。しかし色及び苦味は極く少量によってもつけられるので、経済的にこれを用いる場合もある。

9、ルシアンコーヒー(Russian Coffee)
 単に強いブラックコーヒーのことをいうのが常である。

10、サンタナコーヒー(Sultana Coffee)
 珈琲実を取り去った果肉部(パルプ)を乾燥し、焙煎したものの、浸出液のことである。
 この製法はトルコやペルシャの、ある地方的な風習とされているもので、サルタナコーヒーは、またよく珈琲実の煮出し液のことを指していうこともある。この茶色の煎汁によく似た飲料は、次の如き方法でもつくられる。
 丸ごと、または粉砕されたグリーンコーヒー(普通の珈琲生豆)八分の一封度を、一封度の水の中で15分間煮立て、火からおろして暫くの間、密閉した容器の中に入れたまま置く。
 この飲物は砂糖に依って甘くし、温めて飲む。
    *註 サンタナ。...トルコのサルタン王妃、またその姉妹、トルコ諸王妃等。要するにサルタナコーヒーとはトルコ王妃コーヒーとでもいうことか。これはいわゆるトルココーヒーよりも一層古風な、原始的なコーヒーである。

 11、ターキッシュコーヒー(Tarkish Coffee)
 微粉状に挽かれた焙煎珈琲を冷水に入れ、決して煮たせない程度で沸騰点近くまで煮て造る。
 トルコ人は東方諸国民の、特に貧しい人達の一般的な風習でもあるように、珈琲の粉を食べ、また珈琲の浸出液ばかりでなく、その粉末を液と共に賞味するものらしい。こういう方法によって、彼等は珈琲の実の価値の全部を摂取するのである。

12、ウインナコーヒー(Uinna Coffee)
 磨砕された良質の珈琲を用い、絶えずその中を水蒸気が通過するように装置する。特殊なコーヒーアーンによって、全芳香質が保存されるように調整したコーヒーのことで、ホイップされた新鮮なクリームを加えて供する。

 以上のような諸種のコーヒーから気づかれることは、トルコによって代表される東方のコーヒーと、フランスによって代表される西方のコーヒーとの、二つの態度とも方法ともいえるものです。
 こうした二つの珈琲の底流は、時代の変遷とともに、おのずから取捨選択されて、また新しい解釈も手法をも生むのですが、珈琲の基本的な条件は、在来のものの中に潜み、またそこから生い立っていることは見過ごせません。トルコ風コーヒーと、フランス風コーヒーの持つそれぞれの習慣は、更によくこれを見れば、単に珈琲の追求というばかりでなく、風俗的にも興味あることです。
 なお最近の戦乱後の世界情勢の変化から、どんな変貌が各国共にあったか分かりませんが、おそらく今も昔もあまり変わらぬ習俗の匂いは、矢張り立ちなびいていると思われるのであります。もう古くなったかもしれない語り草からトルコとパリのコーヒーを拾って見ましょう。

 トルコ風コーヒー

  トルコではどんな小都市へ行っても、到るところにコーヒー店があります。それは概ね一室から出来た小さな店で、街路や市場に面して造られ、壁に添った長椅子に椅つて、いとも気長く水煙草を燻らしながら、朝から暁まで足を組んでいるトルコ人が見かけられるのです。しかしコーヒー店はそうした呑気者ばかりでなく、用談にも取引にも儀礼にも使われています。ちょっと一杯と、他では酒が求められるような時、トルコ人は珈琲を求めます。乞食も一杯のコーヒーのために金を乞い、結婚の条件にも、夫は妻に一生珈琲を不自由させないという義務が誓われる程、トルコ人にとってなくてなならぬ珈琲です。そしてそれは街路の到るところに、人の求めに応ずるように、待ち設けられているのです。
 しかしそうした店であっても、珈琲は決してレディーマイドではなく、注文を伺って一々造られるのです。
 特有の長い柄のついた真鋳ポット。それは胴体が細くくびれて、下部の鍋に入れられた水と珈琲が煮られても、決して上から吹きこぼれないように出来ている蓋のないコーヒーポットで、アラビヤやマラパール産のアラビカコーヒーの、念入りに焙られたものを、小麦粉程の細かさにひいて水から煮出して造るのです。
 煮られるとはいっても、それは決して沸騰させるのではなく、沸騰点まで水が煮えた所で、ポットを火から下ろし、すぐに粉ごとコーヒー碗に移して飲むのです。 トルコ人は、唯僅かに基督教化された少数の者を除いては、本来コーヒーに砂糖もミルクも用いずに飲みます。

 アラビヤやエヂプトでの飲み方は、殆どトルコと同様ですが、カイロのホテル等において出されるトルココーヒーには、キリスト教国にならって、始めから砂糖が入れられているといいます。しかしまた旅行家から絶賛されているカイロの珈琲は、極めて小さなコップに盛られた、非常に濃厚な香り高いものではありますが、トルココーヒーというよりもむしろ西方の濃縮珈琲の特徴を持っているものと思われます。
 ギリシャの珈琲は、あたかも東方と西方との中間を行くように、珈琲は始めから砂糖とともに水に入れて煮られます。広場に面したコーヒー店は、回教国風よりもむしろ遥かに西欧風な設計によって造られていて、珈琲を楽しむギリシヤ人は、その広場を埋めるように椅子を持ち出し、時折りの日向、夕べを憩うのです


フランス風コーヒー

 フランス風コーヒーといえば、それは無論パリの珈琲に他ならないのです。そしてパリといえば、キャフェはつきものであり、パリとキャフェをあわせいつただけでも、何か人生を忘れ果たしてない郷愁に似た思いを抱かせます。珈琲はパリ人によって、その真価が発見されなかったなら、或いは今日の発達を遂げなかったかとさえ思われます。それ程にパリ人の天才は珈琲を見る間にその手中に入れ、誰よりもそれと親しくなりました。
 パリのキャフェは珈琲店とはいっても、出し物がコーヒーに限られたものではなく、酒場をも、レストランをも、菓子店をも、アイスクリーム店をも、フルーツパーラーをも兼ね備えたものですが、それはそれなりに一つの調和の中に、パリ人の健やかな、如何にも生活を楽しんだ、誰しも心置きなく友情の中に語り合い、また喧騒の中にも静かに人をまつ場所となっているのです。
 すべての並木道や大通りに並んだキャフェは数知れぬ程あります。こうしたキャフェはパリでもまた路傍に椅子やテーブルを持ち出し、ちょっとした休息にコーヒーを飲むには、持って来いの場所なのです。夜になると表から素透しの硝子窓を隔てて、群がる客の中を長い白い前掛けをかけたギャルソンが、盆を手にして気を配りながら、縫うようすにすり抜けて行く様も見えます。
 変化に富んだフランス風のコーヒーは、そうした雰囲気の中にもちゃんとところを得たように生まれ、また育って来たのでした。そうした情景はパリでなくては、起こらなかったことかも知れません。他の如何なるものにも見換えられないで、コーヒーはその名の如く、遂にキャフェの女王となりました。
 朝の食事にカフェオレーと、簡単なパンやラスクが用いられます。昼間カフェノアを飲みに来る客もあります。そして彼等は夕食のオードヴルとともに、またそのデザートに一杯のデミタッセを需めます。雨が降れば降って、天気なれば天気で、何もすることがなければ独り知らん顔をして、新聞をケースから取り出してみていようと、手紙が書きたければギャルソンにいえば、便箋も封筒もペンもインクも持ってきてくれるのです。

デミタッセは時には、コニャックとともに飲まれます。またrキュールとともに飲まれる時は、「グローリヤ」と呼ばれるのです。カフェノアは「カピューセ」という声が掛かれば、何も手の掛からない牛乳とともに、グラスに容れてすすめられ、「マサグラン」といえば、丈の高い細いグラスに容れられて、水差しとともに客に出されるのです。この冷コーヒーは、客が自分の好みのままに水を割ればよいのです。フランスがアフリカ遠征をした時、戦いに勝ってマサグランの町近くに来ましたが、牛乳もコニャックもなく、仕方なく水とともに珈琲を飲んだ時から、その町の名で呼ばれるようになったといわれる、冷たい珈琲の飲み方なのです。
 だがそういうキャフェの地も、今はやや昔のことのようです。最近のパリ通信によれば、キャフェのゆっくりとした気楽さには、さして変わりはなくとも、便箋や封筒まで気前よく貰えるようなことは、もう余りなくなったとか。世界はどこでも世智辛くなったとも、味気なくなったとも思われます。
 それにしても、フランスは4200万の人口に対し43万のキャフェがあって、どんな僻村に行っても、その真似事の店屋は必ずあるといいます。大きなものから小さなものまである、そうした店舗は、無論その半ば以上は何のてらいもない小さな店で、いわゆるビストロ(Bistro)(t)といわれている居酒屋であり、茶店であって、庶民の生活の一部に深く食い込んだものです。大きな碗に、太っちょの「かみさん」が無造作に入れてくれるコーヒーを飲みながら、パンにかじりつく労働者の板についた情景は、フランス映画には必ず見受けられる生活の一断面です。

  店舗から始まったこういう変化に富んだ珈琲ではなく、家庭での経済的な飲み方として、珈琲にチコリーを混ぜることが始まったのですが、何時かその味はフランス人の好みともなって、フランスコーヒーには、よくチコリーを入れるようになりました。
 珈琲は各家庭で上手に焙るのを誇りとしています。それはフライパン等の中で、黒く焦がさないように焙り、挽く前には火気の上に置いた鉄板の上で、珈琲の香がこもる位温めた上でひいて、濾過式のポットで、2,3度熱湯を注いで立てるのです。また、コーヒーの漉した滓は、煮て次に立てる場合の水の代わりに使うほうが、経済的にも、味の上からも一層良いとされていたということです。
 これはしかし過去のことで、現在もなおそのまま信奉されていることでしょうか、今までの珈琲の立て方の伝授には、商業上にも珈琲滓の煮出しを用いる方がよいと指定しているものがあります。それもまた十数年前までした、珈琲の紹介書が出されたことがないので、今では珈琲が挽かれる前に熱せられるような方法とともに、滓の煮出しを使用するというような考え方は、誰からも恐らく正しいとはされなくなっていると思われます。
 しかし珈琲の過ぎ来った昔の日において、その要素の温度変化の要点や、珈琲の性格や本質についても、充分に見分けられなかった時代に、そうしたひき方も立て方もされていたということは、それなりにおろそかには思われないことです。それは珈琲の生豆や、況してパルプが煮られて飲まれさえした風習を嘲笑うと同じく、人間の素朴な真面目な業績を軽蔑することでもあります。ただそれは現代の新しい見解からすれば、最早過去のもので、コーヒーを飲むという以上、好事家か余程の頑固者でもない限り、決して採らぬ方法となっています。
 トップ