日本の珈琲



       「コーヒー」の由来----珈琲の渡来----カフェー----珈琲の盛衰----戦後の珈琲


1、「コーヒー」の仮名書由来


 『蛮語、国字片仮名をもってその音を填めるもの、二字合字を用るものあり。これ一字をもってその音協和しがたきが故なり。たとえば「ツエ「ウイ「クワ」「イヨ」の類これなり。二字をよすれば自らその音出るが如し。彷彿の間にあるのみなりしは引呼なり。「ユー」シー」と記せる類これなり。「コウ」「シウ」「ノウ」と混ずるの故なり。ツを右側に小書する「キッ」「カッ」等は促呼するものなり。また半濁音は、字の右頭にこれを記す。ブビの如し。
濁音は、ゞを用ゆ。その他蠻語を仮名に書するもの、大抵「 」の勾画を設く。これ上下の文に混同せしめざらんが為なり。』
 文化四年(1807年)編著された大槻玄澤の環海異聞の序例附言において、玄澤は出来るだけ正確に外国語に近く、日本語による発音を表わすことに苦心と注意を払っています。環海異聞については、前に「ヨーロッパにおける珈琲の初期時代」の項で記した通り、今から約150年前になされた、日本人によるコーヒーの見聞を書きとめられているものですが、そこでは今日の日本の仮名書に最も近く、「コーヒィ」とあてられています。
 コーヒーのことについては、それ以前も同人によって、寛政8年(1796年)薦録の中に各比伊という字にコヲヒイと、また寛政十年(1798年)蘭略摘芳の中に、歌兮(コーヒ)歌兮(カツヘイ)と表されていますから、玄澤がいかに飲物としてのコーヒーに注意していたかがわかるのです。同人以前には天明三年(1783年)に林蘭宛が「紅毛本草」に比由爾宇(ビユニウ)比由元古於(ビユンコヲ)等というような文字により、紹介していますが、
これは飲物というよりも薬物として珈琲の種実に重きを置かれていると思われます。そのことはパンまたはボンという、アビシニヤやアラビヤで珈琲の実を指す言葉に基づかれているので想像できます。文化13年(1816年)小森玄良の蘭法枢機に、骨喜(コーヒー)と書かれて以来、今日まで日本ではその発音をコーヒーというのが、最も一般的な文字とも言葉ともなっています。

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