五、 赤裸な眼覚め

  戦火が収まった直後、荒廃した焦土に立って、前後もなくほっとした日本人は真先に甘いものを求めました。心理的にそのころの日本人がいかに甘いものをもとめたかということは野蛮なほど子どもらしいもので、無論甘いとはいっても、蔗糖の甘さではなく、サッカリンやズルチン等の甘味料によるものでありながら、大人も子供も老人も男も女も、等しくむさぼるように求めたものです。そしてそれと一緒に、辛うじて建てた掘っ立ての小屋の中で、コーヒーが求められました。
 無論これとても名ばかりのいかがわしいもので、黒いといえぬ淡い液にかすかな甘味をつけたものでしたが、コーヒーという語韻の魅力は、それが飲めるということだけでも、平和のしるしででもあるように、コーヒーと名のつく一杯の飲物にとびつきました。甘いものとコーヒーとはまさにそのころの日本人の憧憬ですらありました。
 復興する東京の町の中にいちはやく出来た店舗の中で、菓子汁粉の甘味の店と、コーヒー店とは目立って多いものでした。戦前の喫茶店はその様子を一変して、一層珈琲に重点を置いたものとなってきました。戦前徐々に消滅しつつあったころからすれば約十年の空白時代を経て、コーヒーは少しも忘られもせず一層しっかりと民衆の手に戻されました。2,30年前までそれは象牙の塔の中で、そのころの先端人ににほろにがさを讃えさせたものですが、戦後かえって真先に、民衆の飲物となってきたのです。それはアメリカですらそういわれています。
戦後の珈琲の需要が戦前に比して著しく多くなったと。少なくともその需要の度が加わっていることは確かなのです。その同じ風潮は日本にもあります。何か人間の欲求の中に、必然的に珈琲を求めるものがあるかのように。
 ある人はそれをアメリカにおいては、戦時食の中に必ず珈琲が入れられていたために、帰還した出征者に習慣性を持たせたからだといっています。しかし日本は少しもそうではなかったにかかわらず、今日の若者の珈琲への傾倒はなみなみならぬものがあるのです。習慣性もさることながら、珈琲の要求される時代性が一致しているのではないでしょうか。日本において少なくとも若者は、珈琲の良し悪しについてはまだ批判の舌はなかったはずです。だのにその味覚はかつて珈琲が栄えた日よりもむしろ正確に飲み分け始められているのです。そしてそれを彼等の生活の中に保とうと念願しているのです。
 珈琲が贅沢品であり、従ってその贅沢品を採り得る一部の者だけがその真価を知っているかのように思われた誤診を訂正するように、彼等は珈琲の良否を飲み分け得るのみならず、正しい嗜好をすら持っているのです。どこで習ったというのでもないのにそうであるという事実は、味覚もまた時とともに進歩している証拠かも知れません。そしてそれに合わせるように、良心的な珈琲店では、出来るだけ珈琲の真価を発揮することをその念願としているのです。その一般的な傾向は、確かにそれだけでも戦前の一般の喫茶店をはるかに凌駕した態度だと思われるのです。そしてそのことはまだ非常に限られた材料の中から、従来のブレンドやその他の前提条件に従うことが出来なくても、一層良結果を出し得る手法を編み出そうとしているのです。そしてそういう努力によって、一般に珈琲に対する態度は、戦前よりずっと向上しているのです。
  トップ