交誼の飲物としての珈琲


本然の美------若い飲物-------国境と階層を超えて------鬱勃と

した人間の意欲と相通ずるもの-----東洋と西洋との二つの面-----珈琲の夢----

平凡と共にある謙虚-----愛される飲物


珈琲という飲物への思慕、などといえば、大袈裟に聞こえるでしょう。しかし、それはただ単に珈琲マニヤだけが陥る世迷言だとは思われない本然の美しさを、珈琲それ自身が持つているのです。

  何時からともなく、恐らく偶然の機会に、珈琲は世に出た物と思われます。そして珈琲というものについては、今迄別に何という意味づけも行われてはいないのですが、それはいわば、自然に、人間と珈琲とが邂逅したのだと思われることで、いつも価値ある者につけられ勝ちの粉飾を珈琲自体としては何程も持たないのです。

  むしろ何というよさだろうと想うのです。特に目覚めた後の珈琲は、至極尋常な、いわば、普通人と異ならないものです。それはそのよさを少しも失うことではなく、伸び伸びとした珈琲の本然の姿を正直に現していることなのです。



極めて数少ない珈琲の伝承の中で、きまって今日まで用いられている発生の逸話は、アビシニヤで、名も知れぬ潅木の実を食って浮かれ出した山羊を見て、羊飼いが僧侶に訴え出たことから、僧侶が不思議に思って探索し、始めてその薬効が知られるようになったということです。
いかにも心許ない、片言のようなその話も、結局、それだけが信をおかれると欧米人にも思われ、また日本人にもそう思われるからこそ、それはそのままに流布されているのですが、その紹介はいつも決まりきって、何か奥歯に物の挟まった、大人気ないといえばいえる程の気恥ずかしさをひそめて語られているのです。
  それにしてもやはり発生の起源が気がかりになり、どうしてもそれをいわずにいられないということは他の多くの加工飲食料品とちがって、珈琲は、唯一のもっとも単純な、いわば殆ど自然物に等しい加工飲食料でありながら、最も卓越した美禄だというところに、なにかしらいわずにはいられない因縁がもとめられていると思われるのです。
  他のすべての飲食料品と嗜好品をこめて、珈琲は最も若々しいものの一つです。酒は既に非常に古い歴史を持ち、茶と煙草も、珈琲と殆ど前後して、西欧に採り入れられた嗜好品だとはいいながら、それらはその生国において、それまでに長い発展と成長の経路をもっていたのです。しかし珈琲は、それ以前、やや長い間、回教僧院内で霊薬的存在を続けた後、始めてトルコその他の回教圏内で飲料として使われ始めていたとはいいながら、それが人間の最も好もしい飲物の一つとして発達してきたことは、西欧に紹介されたそのときに始まるので、取り立てていう程の来歴を持たないのです。
西欧へ始めて珈琲が紹介されたのは、ときあたかも中世から近世へ移り変わる頃の事でした。そして近代において、急速に発達を遂げ来つたのです。それはどこの国の誰のものというようなものではなく、広く世界人のものとして世界中に広まっています。それなくては食事の形式が整わなかったり、礼儀を失う場合すらあります。そしてそればかりでなく、人々の清閑の語らいに最も適切な介添えとなり、また濁り在る静思の微風となって心身の精気を引き立たせてもくれます。
 しかし、これほどに近代人に愛好される珈琲でありながら、その本質について、人々は沈黙を守っています。なぜか不思議な暗黙の中に、珈琲はこっそりとでなく、むしろ大ぴらに国境と階層を越えて、どこにでもふさわしく、その居場所を見出して行きました。
 すべての効能ゆたかなものにありがちな霊薬的な取り扱いを、珈琲もまたその発展の途上に持っていたとはいえ、珈琲のことはといえば居間もなおとかくその薬効的なことが主題になりがちだというは、珈琲がまだどこか原始の姿を抜け切っていないからだとも思えます。如何にアビシニヤから出生したとはいっても、それはあまりにも原始すぎました。珈琲は決して太古の発見でもないのに、何か太古めいた伝説をすら持たねばならぬということは、幾らか滑稽でもあります。味覚の泰斗であったフランス人ジャン・アンテルム・ブリア・サヴァラン(1826年没)でさえ、珈琲については決して卓見を持っていませんでした。ただ彼は珈琲についてはこのように述べています。
『昔の伝説によると、コーヒーは一人の羊飼いによって発見されたそうだ。彼がその家畜に、コーヒーの樹のあるほとりで草を喰わせると、決まって妙にはしゃいで興奮するとのことだった。この古い話がどうあろうとも、発見したという名誉は、この観察者の羊飼いには半ばしか帰せられない。残りの半分は当然、はじめて豆を炒ることを考えついた者に帰せられるのだ。云々』
 ついでながらこの山羊と珈琲のアラビヤ伝説は、1671年、ファウスト・ナイロニという語学者によって、ローマで説かれたアジヤ風飲料「バン」の説明に用いられたのが、西欧へ紹介された最初であり、後人によって、それは様々に敷行されてゆきました。そして「バン」とは珈琲の原産地アビシニヤで、褐色とか焙ったとかいう意味をもって、珈琲豆を称する言葉であったということです。
  その頃の珈琲についての概念は、珈琲の発展とは伴わないで、そのままの形で今も残っているのでしょう。また西欧へ移行して300年そこそこにしかならぬ経過では、それも止むを得ないことかも知れません。ギリシャ人も、ローマ人も珈琲については何一つ知りませんでした。
しかし珈琲樹が突然変異として現れたものでもない限り、珈琲が太古から熱帯の植物中に生育していたと思う事は恐らく偽りのないことでしょう。隅々それが人跡に遠い未開のアフリカ山中に生えていたからこそ、それは人の手に触れることもなく、そのまま幾百年を経過したに違いないのです。そして発見された契機がどうとしても、他の多くの有用植物と異なり、珈琲はあまりにも遅い目覚めでした。
 珈琲についての諸記録を総合してみても、マホメット以前には、回教徒も殆どこの樹についての持ってはいないのです。しかしサラセンの大移動の始まったときと殆ど期を同じくして、珈琲は彼らの僧院の中に、一種の麻薬的存在を見せてきているのです。そしてまえにもいったように、その飲料としての真の発展の機会を、中性から近世に移り変わる西欧の人間発見の時期に乱しているのであります。地球上の一つの驚異として、その頃、大西洋のかなたに新世界が発見されました。西欧人は水の低きに流れていくように、堰を切って、大西洋を新天地に向かって大移動を開始しました。珈琲はあたかもその波に乗って、西欧人に伴われて、そこに生育の敵地を求めて繁殖し始めたのです。それはまたそうした事情の原因であった、印度航路の発見につれられて、東印度へも赴く道が開かれてゆきました。

珈琲はどこか自覚的な飲物だと思われていますが、それはその発展の途上で遭遇した、人類の二つの異色ある大移動のときに、それぞれの時代の特性を帯びていた事は、注目に値する事柄です。鬱勃とした人間の意欲とどこか相通ずるものを持ちながら、珈琲が次々に辿った道は、心無しには見過ごせない、その特性を現すものなのです。そうした事から、珈琲の発生に思いをはせると、人類の文化の根源に、神秘ではなく、もっと深く、根強く息づくものが共通していると思うのは、何かよしありげな思い過ごしでしょうか。
 あたかも偶然のように、珈琲は静養と東洋との中間の接触地帯に、その発祥地が置かれていました。パレスチナとメッカが象徴する、相反する二つの宗教が発生したのも、その漠然たる焼け付くアラビア砂漠の此虚と彼虚でした。誠に奇なる縁は、まだメッカが確立するよりも遥かに以前ではありましたが、地の果てにあったシェバの女王と、キリストにまで受け継がれたダビデの商としてその頃エルサレムに君臨していたソロモン王とが結ばれ、そうした由緒によって生まれた子孫によって、アビシニヤが建国されていたという事です。東洋と西洋という、地上の真反対に背をあわせた二つの面。また肉体と精神という、人間の相剋する二つの面。それはしかし、形成の最も自然な様相であって、万象も、物質も、哲学も、その同じ姿の中に成因を擁して、絶え間なく、激しく、回転しているのです。実に珈琲はそうした地上の状況を表示するかのような地点に生じたものでしたが、そのもてる性格は、全てに亙って、そうした心理の要目を含んでいるのです。
  実に何気なく人は珈琲をたてます。しかし真にたてられた珈琲は、そのたてる人々によって、各々異なった性格を表すものであるということは、少し経験のある者なら誰でも気づいている事です。同一人の場合であっても、動揺する心境でたてられたものは、必ず動揺した気分を表してしまうものです。それはまだ殆ど自然物に近い、しかし非常にデリケートであるその材料に加えられる人工が、直接に反映されるので、そういう結果を表すということは当然であって、珈琲の素質は物質としてもとその要素の結合が、熱湯中に分解するその瞬間に、人の心と相通じて、液体の中に己を表示するのです。それは厳密な意味で、科学的な又物理的な結果でもありますが、同時に芸術的な要因をも含んでいるのでしょう。
 一見簡略な手段によって、人間が手づから造り、しかも最高の歓びをもって用いることの出きる飲み物として、珈琲がもつそうした特性は、諸飲料中他に全く類似のない自由性に富んだものです。それは単なる製品というよりも、遥かにいけるもののように己を表示する瞬間を知っています。何等の既成概念に捉われないこの本性こそ、珈琲の最も近代的な素質に内在するものです。珈琲が類推的な理解でなく、智慧の直感によって真の近代人に愛される所以は、実にそこにあるのです。そしてそれ故にこそ、珈琲は万人の間に伸び行き、その親和力となることも出来たのでしょう。
珈琲は今迄に二つの大きな段階を越えています。中世における回教圏の性格と、近世の西欧の覚醒との。そして現代の展望の中で、それは第三段階を越えて、世界のものとして、その発展を遂げようとしているのです。東洋の西端を経て東洋の東端に達した珈琲は、ついに世界を一周していたのです。二十世紀の後半の初頭にあたって、日本は原始の赤裸な姿で、この世の天と地をはっきりとみているのです。それは必然的に悠久なるものに通じつつ真の人間の平和と自由を、国家のあり方において新しく見出そうとしているのです。
 最も年若く、そして人間的な真の近代国家として転生した日本を信じてください。世界の同好者、朋友諸君。幸いにここに珈琲がありました。最も良質の珈琲を、廉価に、多量に、日本に送ってください。できるだけの手段をつくして、それを日本に送って草際。われわれは先ず手近な珈琲から、真に価値ある世界の近代を獲得しようと思う者です。その厚意に対し、われわれの工場は諸君に取って、最も好もしきものを生産し、諸君の期待に対して。歓びが共に分かたれる程の内容を盛って送りましょう。また日本の風光は世界中でも有数の名媚さを、到るところに展開しています。本来快活で親切な日本人は、諸君の来るのを双手を挙げて歓迎しています。一緒に珈琲を沸かして分かち飲もうではありませんか。その日が来たなら、われわれはわれわれの手並みを諸君に、見せるでしょう。そしてきっと諸君を驚嘆させるでしょう。われわれの盛る珈琲は、日本の特産の陶磁器に、日本の山獄がもつさわやかな香気と海浜の優雅さを表現してみせましょう。またわれわれは諸君の手法によってたてられる珈琲から、世界の各地に根ざす最もよき人間性を発見するでしょう。そうした談笑と友好の間に、現代の理想を描く事が出来たら、なんと幸福ではありませんか。
 個々の性格は相反し、分離したものです。しかしそれらは唯一の存在をめぐって相見る時、平均と助長と、認識が生ずるのです。あるいはそれこそが愛なのです。われわれは珈琲の真髄が発揮される過程にも、その心理を認めるのです。日本が甚しく貧乏であるということは、少しも品位の損傷にはならないのです。真に彼が人間であるなら、往還に偽装された王者をもしのぐ者です。人間の誇りを以ってわれわれは諸君にいいます。珈琲は如何にも微々たる自然物にしか過ぎません。いいではありませんか。何も山をも崩す原子爆弾のことばかりが能ではない。踏み砕かれれば、即座に土に帰してしまう程の珈琲によって、人間の生きる歓びの一節に直接触れてみようではありませんか。
中世から近世への珈琲初期時代には、珈琲は特権階級だけがそれを占める贅沢なものとして華麗な豪華な賓室で、飲まれたりしたこともありましたが、その世界性はもっと普及する形において、ひろく民衆にも愛されるべきものとしてもあるべきはずでした。誠に日本の現状はそのことにとっては幸せです。鴉が孔雀の真似をしたような滑稽な美室ではなく、街の辻々に、また舗道のかたわらに、磨り減らした靴を履いた足を運び入れる程の場所にも、美味にたてた珈琲を待ち設けようではありませんか。それは常に今日の歓びを満たし、精神を鼓舞し、また明日への士気と能率の授けとなるのです。
 何もそれには高名の品目を羅列する必要はないのです。新設と明敏な感覚は、最も正しい熱練さによって、かつて行われていた模倣ではなく、日本の風土にはまた日本らしい焙煎の方法も、珈琲の程よき配合も、特に進歩したたて方をも発見するでしょう。そうした間から、自然に醸される雰囲気によって、いとも健やかに語らえる場所も生ずるでしょう。何も気取らないでいいではありませんか。。政治家だろうが、学者だろうが、芸術家だろうが、実業家だろうが、勤労者だろうが、気持ちさえ合えば一杯の珈琲が取り持つ縁を結び合って何をどうということでなくても、その日その日を楽しくしようではありませんか。

 珈琲の持つ滑らかな、そして何処か多感な肌合い。その眼に映る濃い色は決して黒でもなく、また茶褐でもなく、金と赤との解け合った光をひそめた奥深い調子を持って、自らそのある時と所に応じて人の心の傍らに寄り添ってきます。
 誰も珈琲をかけ離れたものだとは思わない、非常に親近なものとしてしか感じられない、その温かさは、格別目を見張る程のものもないのに、豊かな心を引き立たせて、何のくもりもない気宇を抱かせてくれます。それは伸び伸びとした爛漫さを持つ自由な気質です。
 それは人知れずには来ない、高くふくよかな香を放っています。しかし何の執着もなく、補足しなければ消え去る香です。それは遠く隔たり行くものではなく、実は心に宿るものです。何度でも、それは決して忍従ではなく、呼ばれればまた現れて寄り添う香です。
 ほろにがく、どこかあまく、そして和かく舌を包む、酸と渋味とをもつ味わいです。それは如何ようにも変形して、その香と味わいは感受の世界に、形のない睨を現し、線と陰影の織りなす色を描き、音のない音となって、人それぞれの心の美しさとなります。
 珈琲のあらわでない刺激。それはそのさまざまな持ち前がもつ程よい調和によって、心に流れる波動です。それは人間の魂を麻痺させるものではなく、常にそれを引き立たせ、覚めさせるものであり、楽しませるものであり、そしてより以上に活かすものです。
 殊更に何の格式をも持たず、それ自身の哲学をも特に持たない、美学をも持たないけれど、何時でもうぶな正直さを持ち、気立ての良さを持ち、平凡と共にある謙虚さを持ち、至極尋常な世界に、企まぬ心のそよ風となって、気取らぬ気安さを引き立たせます。
 こういうふうに数え上げてくると、珈琲の賛辞には限りがありません。それが人間の飲物として、決してなくてはならぬといったような、どこか重々しいものではなく、さして注目もされない程の値打ちを持って出てきていながら、実は珈琲ほど真に愛される飲物は他にありません。それはどこにも気負うところもない、全く平和な飲物でした。飲物として世に出てまだやっと三、四百年にしかならぬ間に、珈琲の広めた世界は稀有の広さでした。そして珈琲といえば響くように、人の心にゆとりを起こさせ、それがどこの国の人間にも、実に親しく感じられる飲物となりました。
 これは確かに自然の一つの恩恵でした。それはどこの誰のものとして、その裾分けを受けるといったものではなく、誰しもこれを受け入れ、また受け入れられるところに、珈琲の普遍的な性格がありました。実に、乏しい財と少しの閑ですら、採ることのできるものです。そしてそれは華麗な殿堂ではなく、実は簡素なところにおいて、最も豊かな気を引き立たせ、人間の間に朋友の親しみを湧かせるものとしてふさわしいのでした。
 一杯の珈琲に持たれる満足感。それはこの世の良さの一つの象徴ですらあります。それが材料から液体に転化される過程には、極めて素朴な手段しかないのに、それは微妙を超えた陰影を映ずるのです。それこそ人間の誠実と正直の賜物として、それだからこそ人間の心に寄り添い、そのおおらかさをひとのおおらかさと融和させるのです。またその慰めとなり、激動となるのです。
 珈琲の持つ感受性の強さは、また人間の持つそれでもありましょう。それは、人間の感情に伴われて、喜怒哀楽をすら現すのです。その平凡さは人間の平凡さと一つであり、その複雑さは人間の複雑さと一つです。それが売買の対象となるときでも、珈琲は決して単なる商品ではなく、もっとはるかに気分であり、表現なのです。そうした本年から醸し出される一つの雰囲気は、律動と調和の世界です。それは高峯に掻き鳴らす琴の音ではなく、むしろはるかに合唱的なものです。そして若しそうでない場合、それは語らいです。決して独り棲まぬところに、珈琲の本来性があり、親和性があります。そうした意味で、珈琲は豊かな感情的なものといいえるのです。
 世に現れてから如何にも短い年月しか経たぬ珈琲は、何の古典を持たないのです。それは確立した形式すら持たないのですが、習慣というにも足りない経験は、むしろ粗野ともいえる、稚拙なものでありながら、しかし亳も珈琲を損なう事とならぬほど、珈琲の純真さは自然でもあったのです。
 かつて今迄にただの一度も汚辱を持たなかった珈琲は、その少しも緊張のない誉を、誉としないで誰の前にでも素直に出て行き得るのです。何時如何なる場合にも、その天真さには変わりないのです。そうして多くの人の間に行き交い、その親密の度を加え、その日常の食事の傍らに、また休息の傍らに、客と語り合う主人の傍らにあって、歓談の味と、微妙な刺激と興奮の雰囲気に放つ好もしい香となっているのです。
 珈琲を愛する主人は、それを愛する客のために、多くの自らの子によってそれを造ります。それは期せずして一つの礼儀ともなっています。それはどこまでも平易の中に行われる、素朴な礼譲ですが、余計な控え目よりも、むしろ覆いのない全幅の厚意は、珈琲に向かって注がれる熱く沸った湯に伝わって珈琲にも全幅の持ち味を醸し出させ、その芳香を発揮させるのです。そうして現れた珈琲の液体は、それを造る人の個性と一致した一つの美しさを、瀬戸物の茶碗の中に形成してみせるのです。
 若しまたそれが珈琲店といったような、一般的な店舗で供される場合にしても、珈琲の本来性を活かした店舗であったならば、そこには必ず調和と融合とがもつそれなりの美の世界が開かれており、また素直な気質が現れているはずです。そこにある新鮮さは、珈琲とそれを愛する者の新鮮さによって、店舗の持つ個性を助長し、そこには自ら肩の凝らない話題も喉くでしょう。珈琲店の管理者は注意深く珈琲の材料を吟味し、彼は彼独特の手法によって珈琲が人知れず熱湯中においてなす化学変化を導き出しているのです。彼の職責は人々の語らいの中にもたれる、交誼の扶けとなる珈琲を造る代行者であって、簡単な注文の言葉は、彼の敏感な心線に触れて、微笑ましくも実現した、純なる珈琲の味と香を盛るのです。
 そうして自然にもたれる店舗の気分は、その店舗の質と客の質とを決定しているのです。そして純なる珈琲の持つ洗練された刺激と興奮とは、何時も高き知性によって、迎え歓ばれるものとしてあるのです。
 珈琲の持つ一つの強さは、その具体的で積極的な内容の、盛り上がる力にあります。真に美しきものは、わが眼を以って見、わが感覚を以ってそれを捉え、わが心を以ってそれを描けるものでしかありません。そして真にそれが美しきものである限り、それは必ず普遍的な共感を呼び起こすに違いないものです。それは必然的に珈琲の持つ親和力となって発揮されます。
 それ故にこそ珈琲は、また万人から愛されるものでした。
   まことにこれは一度味わえば忘れられなくなります。理屈ぬきに認められるそうした価値はそれでいて取り立てて何の格式も持たぬ、極めて稚拙な手段の中にすら、内在しているのです。珈琲はそれをたてる者と、常に融和することを欲して止まないものです。それは何故とれば、一度碗に盛られて飲まれるとき、それが一人の時であっても、また多くが分かち飲むときであっても、その心に触れて慰めとなり、清新な鼓舞となるからです。
 珈琲というと今でも兎角薬効を聞かれがちです。それ程に長く薬と思い込まれていた珈琲は、また多くの非難をも被っています。かつてはせっかく採り上げられた回教によって、宗門の秩序を破壊すると思われたり、後には基督教から邪教の飲物として偏見視されたり、しかし最大の反対意見は、それがあまりに民心を収攬したために、施政者の忌諱に触れたことから起こされたのです。そしてそういう雰囲気に何となく醸し出された、薬効とは全く異なった薬物として見る偏見も行われたが、そのいずれをも凌いで、珈琲は人間の最も特異な飲物となって行ったのでした。珈琲が種々な誤解を被った原因には、珈琲を供する店舗 ̄珈琲喫茶店が、専ら享楽方面に転化しはじめた時から、そこに生ずる惰弱や、放恣や、悪徳に対する非難を、珈琲が間違って受けていたと思うのです。しかしそのことは珈琲がその店舗において、真に価値づけられたものとして、もちいられることがなくなっていたからこそ、そうした結果を招いたのであって、最早そのような場所においては、珈琲はその本領を現すことなく、その香も味わいもかくれ去っていたに違いないのです。
 珈琲の持つこのような性格の中には、実に繊細な生物の鋭敏さと、精緻なゲージの感度があって、人の心を反映していると思えるのです。珈琲の秘訣はただ人間の本心の誂えにしかないのです。そして何も難しいことではなく、実に空しいこころにたたえられている人間の滋味によって、容易に補足できるとも、相通ずるともいえる境地に属するものです。二十世紀の半ばにおいて、珈琲は始めてその全貌を現したのです。それは動乱の中に最も玲瓏たる生ける自然の美しさを、一粒の種子の中に表明して見せていることではありますまいか。
 厚い礼譲と親和につくられる一つの良きものを、、観念の厳しさにではなく、溢れるばかりの実証として見せてくれる珈琲が何心なく良き人によって愛される事は当然です。珈琲の輿える興奮は、神経の焦ら立つ興奮ではなく、常に心の潤いとなって、その精神を高めるものなのです。何も今更に始まったことではありません。昔から優れた人間の良き友としてあったということは、既に珈琲の常識として、知れ渡っていることです。ただそれが今迄もそうであった如く、常に時代の変動の中に、極めて正確にその時代を把握する敏感さを、また人間の正しい感覚に合わせ見ることは、今の世にゆだねられた一つの良き仕事であると深く思われるのです。

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