「コーヒー」余談


          「コーヒー」の語源---- その転化

          −−−−茶・煙草・コーヒー



一、「コーヒー」の語源とその転化



  珈琲はその原産地のアビシニヤやアラビヤでは、その樹も実もともにBun(バン)と呼んでいました。それは恐らく極く近代までもその名で呼ばれていたと思われます。あるいはいまでも土民語として残っているかも知れません。飲料としての珈琲は、はじめ珈琲の飲み物が酒として起ったからだと思われますが、アラビヤで酒---もっぱら葡萄酒---のことをQahwah(カツア)と呼んでいたのが、酒でなく後々焙煎せられて嗜好飲料として用いられるようになっても、アラビヤ圏内でそのままコーヒー飲料のことに用いられ、各国の今日の言葉に転化したものだと思われます。
 アビシニヤの珈琲産地にKaffa(カファ)というのがあり、珈琲の語源はそこから出たという説もありますが、それと今日のコーヒー、あるいはカフェ、カッフ、カッフィー等と発音される言葉との必然的なつながりが説明されていないので、今日ではほとんど誰からもとりあげられていません。
 コーヒーという飲物がアラビヤから起ったものだと伝えられていても、それとは別にまたそういう習慣の源が既にアビシニヤのカファ地方にあり、その飲物を往古からそういっていたのではないか、そしてもしそうしたことがあったなら、アラビヤのカッアにそのままうけつがれたのではないかということも、系統立てた理論として生まれるはずですが、1925年発行されたラルフ・ホルト・チェニイの著述にも詳細にわたった言語学的な検討で地名語源説を否定しています。

 ウイットシュタイン著「植物生薬学辞典」に
 「リッテルによると、コォフィという言葉は一般に考えられているように、アラビヤ語から来たものではなく、カファと呼ばれている東部アフリカの一地方から由来するもので、この地方は北緯3度から6度の間にわたるところにあって、この樹が非常に沢山繁茂している。」
 と紹介されたこともありますが、しかしそれ以上何もつけ加えられていないこの紹介では、遺憾ながら何等科学性のない不確かな思いつきに過ぎないと思われます。
 Bun  はあるいはboun,ban,ben,bunu,buncha,,等と書かれ、Qahwaah,、はまたKahwah, K'hawah, Kahwa, Cahua, Kawa, Chaube, Kapi,Cave, Kava, 等と書かれて今日の各国の言葉となったことを示唆している、とチェニイはいっております。また別に、アラビヤ人は珈琲をKawah(カワァ)と称して、強いとか精力とかいう意味を表し、その液体をQuahouch(カワホウ)と呼び、トルコ人は珈琲豆をChaubc(チャウベ)といい、珈琲の液体をKahue(カフェ)と呼び、ペルシャ人もKarweh(カーウェ)と称しているという説もあります。
 いずれにしても今日までの語源説は、アラビヤ圏内において珈琲が飲料となってから起ったものだという説が一般に支持されています。そしてそのことを裏づけるかのように、珈琲発達の中古時代に、Bun(バン)とQuhwch(カウァ)との発音が組み合わされて、珈琲種による飲料を指すのではないかと思われる言葉が現れているのです。
 推定西暦900年頃アラビヤの哲学者ラーゼスの論文中にBunca(ブンカ)とかブンヂヤムといわれていたり、1000年頃マホメットの物理学者の論文中にBuncho(ブンコ)またはブンチャムといわれている言葉はいずれもBunが共通しているので、今日ではコーヒーのことを指していると信じられていますが、Ca(カ)やCho(コ)またはヂャ、チャという発音は、そのはじめコーヒー飲料を指した言葉の頭であるQuh(か)またはトルコ風の呼び方といわれているチャウペやチャオウアの頭であるチヤに通じていて、この二つの語が組み合わされたものと思われます。
 しかしその後西欧へ珈琲が紹介され始めた頃は、珈琲はブンカあるいはブンコといい、一見組み合わされた語の様相はなくなっていて、1671年頃西欧へ始めて山羊と羊飼とコーヒーの伝説を伝えたファウスト・ナイロニの講義中にはしばしば Bun(バン)という語が用いられ、それより稍々さかのぼって1573年レオナルド・ラウオルフは、アレッポ滞在中に見た珈琲飲料についてチャウペとかチャオウアという語を用い、1591年プロスペル・アルビンがカイロにおいて珈琲樹を研究した論文中には Caova(カファ)と記しています。
 また知名と語源とのことに戻りますが、イエ・ハーヘンというオランダ人がアルビンのことを伝えた書籍にはそれに引き続いて
 「原野を焼かれた時に、水中に浸った焼けた木によって、珈琲が発見されたという噺があるが、このことについては、今まで誰も解き明かした者はないので、これは不確かな話である。」
 と書いています。若しこの噺がやはりアルビンによって伝えられたものとすれば、これはアビシニヤに近いカイロでの研究余談なので、ラヴオルフのチャウペと比較して、Caovaという語の由来が、若しやアビシニヤの珈琲産地Kaffaにあるという痕跡を示すものではないかという、疑問がおこらなくもないのですが、これもまた単に思いつきの程度です。しかしチェニーもその論文の終わりの方に Kahwahがコーヒーの飲料に用いられたという、確かな説明はまだされていないとも記していることは、まだコーヒーという語について解明し切れぬものがあるのを告白していることでもあります。

 日本において始めて珈琲が文献に現れたのは、1783年(天明3年)林蘭腕の紅禿本草に、波无(バン)保宇)ボウ比由无那阿(ビュンナア)比由爾宇(ビュニィウ)比由无古於(ビュンコヲ)等の文字がありますが、それがまだ飲料としての紹介ではなく、西洋の薬種として、その種実が伝えられていることを意味していますが、それがバンというアビシニヤやアラビヤの珈琲実を指す語であるということは、その当時まだそういう言い方が世界中に通用していたことを気づかせます。
 また、ビュンナアやビュンコヲという言葉が現れていることは、紀元1000年頃の初期の珈琲文献にある、アビセナのBuncho(ブンコ)が、700年を経て日本の文献に、新しい紹介として現れていることであって、その頃そういう語がまだ残っていたか、或いは単に来歴の説明としてあったかわかりませんが、しかしこれらの語と共に古爾比伊(コツピイ)、古爾比為豆(コッヒイボーン)という紹介もあることは、薬種だけではなく、飲料としても伝えられており、その時は呼名が変わることを示していることでもあります。
 その後の紹介は専ら飲料としての珈琲に注目されていて、日本人が接触した各国人の言葉が繁栄され、1796年(寛政8年)盤水大槻玄澤の薦録に各比伊(コヲヒイ)と現れて以来歌兮(コーヒイ)迦兮(カツヘイ)可喜(コヲヒイ)哥非乙(カツヒイ))黒炒豆(コウヒマメ)骨喜(コーヒー)哥兮、架非、珈琲、とその仮名と漢字が定まって来たのでした。その後種々雑多な宛て字や、明治維新前後には、却って日本流に歪曲して、豆の湯、茶豆湯、煎豆湯、唐茶、珈琲茶、茶豆などと変化したこともありますが、何時となく初期に敏感に伝えた、小森玄良のコーヒー、宇田川榕庵の珈琲という、正しい音表仮名と優れた漢字に復帰して、今日の定型を生んだのでした。
  ※註 従来なされた数多くの珈琲紹介はいずれもトルコ語に古く現れている珈琲を表す語Chaubeをチャウベと読ましています。本書においても、先賢に従ってその通りに記しておきますが、チェニイが引用したQuhwuhの変字中、批の語を除いて他は皆字頭をカ行音を以って発音しています。
 トルコ語について全く知識を欠き、またそのことについて究めずに疑問を抱くことは、己の無知を現すことでもありますが、chがカ行を以って読まれる場合もあるので、あるいは「カウベ」ではないだろうか。するとその他に「チャオウア」とあるのは「カウア」とも、「バンチャム」「バンヂヤム」等とあるは「バンカム」「バンガム」等となるのではないかと憶測されるのです。気懸かりのまま記して大方の叱正を俟つ次第です。

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